所在地・開室時間
〒192-0397 東京都八王子市南大沢1-1
東京都立大学 人文社会学部 社会学教室
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開室時間:月~金 10:00~16:00(臨時閉室や長期休業期間に伴う閉室もあります)
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社会学教室 沿革と特色
1.沿革
1949年に東京都立大学が開設されたとき,人文学部に社会学科が置かれることになった.このとき学科開設の中心人物となったのが,岡正雄である.岡は確かに東京大学の社会学科を卒業していたが,柳田國男が日本民俗学会を設立した際に事務局を担当した人物であり,すでにヨーロッパで民族学=社会人類学を学んでいた.そのため,社会学科の中に社会学と社会人類学が同居するという都立大学社会学科の大変ユニークな性格が育まれることになった.このことは後に述べるように,社会学の側にも大きな特質を与えることになった.もうひとつ岡の示した卓見として,逸早く大学院の設置を図ったことがある.当初は社会人類学と社会学を同時に設置するつもりだったようだが,人事がスムーズに進まず,一足先に社会人類学専攻だけが設置されることになった.
実は当初,北海道大学にいた鈴木栄太郎に就任を要請したが,健康状態を理由に断わられたため,小山隆が就任することになった.ところが,当時小山が所属していた大阪大学が,後任探しの困難を理由に難色を示したのである.小山は大阪大学の社会調査の講座を担当しており,当時は社会調査を担当できる社会学者がなかなかいなかったのである.そこで後任に喜多野清一が着くことを条件に,ようやく移動が認められたのだという,都立大社会学の基礎を築くことになる小山の就任をめぐって,鈴木栄太郎と喜多野清一という戦前に日本の農村社会学を確立した2人の人物が関わっていたわけである.
さて,小山を得た社会学科は大学院社会学専攻の設置も認められ,社会人類学同様,社会科学研究科に属することになる,この時期小山に師事した研究者に中村八朗や袖井孝子がいる.また,湯沢雍彦は学部を卒業後,家庭裁判所の調査官になり,小山が設立した家族問題研究会の事務局を務め,後にお茶の水女子大学の教授になった人物である.後に小山の三部作として知られるようになる研究は,この研究会における共同研究の成果である.
かくして他大学の社会学科には見られない都立大社会学の実証主義的な学風が確立していくことになるが,その背景にはスタッフの半数近くが岡正雄・馬淵東一・古野清人などの著名な社会人類学者によって占められていたことが無縁ではなかろう(これに加えて,蒲生正男,住谷一彦,祖父江孝男が助手として勤務していた).他方,もうひとつの背景としては,東京都の大学として都市研究を重視するという全学的な課題を担っていたことがある.当時の講座制においては社会学原論と並んで都市社会学講座が設けられていた.現在でも都市社会学を専攻する教員をつねに2人確保するという方針を堅持している.そして,そこに最初に赴任したのが磯村英一であった.しかしながら,当時東京都の職員であった磯村の着任は,教授会には東京都からの押しつけ人事と受け取られ,磯村は大学内に研究室すら持つことができず,気の毒に思った知事が特別に市政調査会の一室を用意したほどであった.このため社会学研究室内部での磯村の位置づけは驚くほど小さいものである.こうして草創期の都立大社会学は,小山隆,大塩俊介,磯村英一,岩井弘融というその最初の陣容を固めることになる.
2.発展
小山の退職後,助手として赴任していた河村望が助教授に昇格し,磯村の退職後,産業社会学の分野で高い評価を受けていた岡本英昭が着任する.当時,岡本の指導を受けた大学院生に辻勝次がいるが,不幸にして岡本は数年で退職することになり,後任として倉沢進が着任することになる.その後,残念なことに岩井弘融も早期に退職することになり,古屋野正伍が着任する.こうして相次ぐ次世代の退職にともない,少し間を飛ばすかたちで,社会学原論の河村望と都市社会学の倉沢進を中心とした陣容が長く続くことになる.この頃が大学院生の育成という点では,大きな進展が見られた時期であり,現在,多方面で活躍している社会学者がしのぎを削っていたことがわかる.片桐雅隆,牛島千尋,渡辺雅子,森岡清志,菅谷よし子(故人),山本泰正(故人),桜井厚,池田寛二,園部雅久,寺田良一,藤崎宏子らは,いずれもこの時期の大学院生である.やはりこの時期に彼ら彼女らの手で,現在の都立大学社会学研究会が結成され,雑誌『社会学論考』が創刊されている.
その後,南大沢移転にともない,新たに社会調査法の講座を新設し,そこに飯島伸子と原純輔を迎えることになる.そのすぐ後には江原由美子と宮台真司が加わることになり,ここに都立大学社会学科としてもっとも充実したスタッフを擁する時期を迎えることになる.なお,その間,新設の社会福祉学科の礎を築くことになる小林良二が一時的に籍を置いていたり,やはり社会福祉学科に石原邦雄,都市研究センターに高橋勇悦,松本康が在籍していた時期もあり,都立大社会学はスタッフの陣容という点でも,巣立っていった社会学者の影響力という点でも,日本の社会学界において非常に有力な地位を占めることになっていった.
3.特色
以上のような沿革と発展のもとに,都立大社会学はきわめて明確で,ユニークな学風を保持することになった.これまで名前を挙げてきた社会学者の仕事を鳥瞰するならば,その学風は自ずと明らかであろう.いずれもきわめて堅実な実証的研究において優れた成果を上げてきた研究者であり,社会学理論の分野においても,実証的な側面との関連や現実のリアルな姿を明らかにするべく,現象学的な意味での社会の構築や具体的な社会問題への取組みを強く意識した業績を蓄積してきた研究者ばかりである.ある程度の陣容を擁した他大学の社会学科のほとんどが理論研究を中心としてきたのにたいして,都立大社会学の伝統は日本の社会学界においても希有なものであり,実質的な意味での社会調査の方法が学べ,実践的な理論研究のあり方を学ぶことのできる数少ない場であると評価することができる.
このような特色を持つ都立大社会学は,首都大学東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野を経て,現在,東京都立大学大学院東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野に引き継がれている.スタッフは助教を含めて8名,今後も社会学原論・都市社会学・社会調査法の各分野のスタッフを維持している.早い時期に大学院を開設し,他大学とは異なるタイプの社会学研究者の育成にある程度の成果を収めてきた本研究科も,少子高齢化の影響による受験者数の減少など,これまでとは異なった環境への適応を迫られている.それでも,都立大社会学以来の伝統と蓄積をふまえて,さらなる前進が求められている.